2007年5月15日火曜日

私の歌姫

もう来週は引越し。そして週末には日本に向けて発ちます。 ということで、何かと身辺あわただしい。

家具の粗方はご近所のヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)に纏めて引き取って貰えることになったので、ひと安心なのですが、その他の細々とした雑事が結構面倒です。それに付けても、こちらに来る引越しの時にも思ったことなのですが、こんな時には傍らにボヤく相手、突っ込んでくれる相手が欲しいものですね。(こんなところで、プチ告白しても始まりませんが。) 「ひとり、始末良く暮らす」 これが僕の取敢えずの目標なのですが、これがなかなか難しい。

さて、という訳でブログにアップする様なネタもゆとりも無く過ごして来たこの1週間ですが、昨日夕食の後に聴くともなく、大貫妙子の新譜を聴いて、それがとても心に響いてしまいました。

大貫妙子、「私の歌姫」。高校の終わりの頃から、聞き始めてもう30年になります。最初の頃は、若干無機的にさえ響くと思っていた彼女の歌声ですが、年を経て歌い方も変化しました。今、とても丁寧に歌う彼女の歌は、どんなに気分の落ち込んだ時でも安らぎを与えてくれるとっておきの音楽です。(僕にそんな風に作用してくれるのは、もうひとつウラッハのクラリネットです。)決して甘過ぎる事はなく、凛としているけれど、温もりがある。

彼女は、いわゆるシンガー&ソングライターですから、リリースされている多くは自作曲ですが(勿論、好きな歌はいくつでも挙げられます)、夕べ聴いたのは女性シンガーのカバー曲を集めたオムニバス・アルバム。彼女がカバーしたのは、オフコースの「やさしさにさよなら」と、MISIAの「名前のない空を見上げて」の2曲でした。

このアルバムに寄せての彼女のコメント「同じアプローチでは、わざわざカバーをする必要はないのです。ですから自分の歌として今まで積み重ねてきた経験をもとに、新たな気持ちで向き合ってみました」というのは、ありふれた言い方に取られかねないけれど、この2曲を聴いていると、それが何を意味しているのか(どんなに深い事なのか)良く判る気がします。

ご本人は、歌や見掛けの繊細そうなイメージとは裏腹に、アフリカや南極を旅したり、しゃべる声もどちらかといえば低い、逞しい人の様です。繊細なモノを作り続けるこの人は(それも30年以上もバリバリの現役で!)、先ずクリエータであるということを教えてくれる、それも彼女のファンで有り続ける理由のひとつです。

2007年5月8日火曜日

Last vacation in Bay Area

日本はもうGWが終わりましたね。僕も、帰国が秒読み段階に入りましたが、木曜日から週末に掛けて休みを取って「ミニGW」を決行。ごく近場ですが、宿を取り「ラスト・バ ケーション」を送りました。

場所は、サンフランシスコ(SF)の向かい側、小さな半島の突端にあるティブロン Tiburon という町です。

SFの街を抜け、ゴールデンゲート・ブリッジを渡り、更に10分くらい走ったところでフリーウェイを降りて、入り江をぐるりと回って、小さ な半島の突端にある小さな町。ヨットハーバーがあって、SFとの間にフェリーも運航しています。

正面にSFの町が臨めて、ひたすら平和そうなところです。シリコンバレー近辺に通算8年くらい住んでいながら、初めて訪れたところですが、観光客もごく少なくとてもリラックス出来ます。SFの街に出るには30分くらい、ナパ/ソノマといったワインカントリーにも1時間半くらいで行けます。

もっと早くに知っていれば、と思いましたけど、まぁそれでも、知ることが出 来たので良しとしましょう。

今回、実際にここからSan Francisco Symphonyの演奏会や、ナパのイタリアン・レストランへ昼食を取りに行きました。

ところでそのレストラン、ナパヴァレーの中心、セントヘレナという町にある Tra Vigne(トラヴィーネ)という店ですが、とてもおいしい。パスタも正しいアル・デンテ(これがアメリカのイタリアンでは、なかなかお目に掛かれない) 今回はブカティーニという太目のパスタをムール貝のトマトソースに和えたもの。(ちょっとミントが隠し味) メインは、ビーフを煮込んだものをポテトとポレンタ(コーンをオートミール状にした付合わせ)のベッドにのせた一皿。ビーフシチューのような濃いソースでなく、丁度日本の煮込みに近い食感。

ところで、今回は昼食ということもあり、サラダ/パスタ/メイン全てを一人前を二つに分けて貰いました。ボリュームの多いアメリカの皿も、これだと丁度いい分量。アメリカでは、まともなレストランだったら、頼めば大抵分けて盛り付けてくれると思いますよ。(Could you split it (or them)? というのが頼み方)これだと、お腹にもお財布にも優しい。取り皿を頼めば済むことかも知れませんが、やはり最初から分けて貰うと食べ易いし、気分もいい。昼食に限らずお薦めのやり方です。

2007年5月4日金曜日

映画「ニジンスキー」、そして「ディアギレフ」という本

最近「春の祭典」についてのサイトに出会って、ふと思い出して映画「ニジンスキー」のビデオを手に入れた。僕がこの映画を最初に見たのは1982年の秋。場所は新宿歌舞伎町の「シネマスクエアとうきゅう」 思えば、今流行りのミニシアターのはしりですね。 (今となっては、ちょっと「ロケーションに難有り」だけど)

82年は、大学を出た年。卒業の直前には、大学オケで1ヶ月の演奏旅行に出た訳だけれど、その時のメインがストラヴィンスキーの「春の祭典」。そういう縁で、この映画も気になったという訳だろう。

それ以来、25年振りに見た。あらかたのシーンを覚えていた。好きな映画であれば大抵繰り返して見ているので不思議はないが、この映画に関しては、一度しか見ていないのに、余程印象が強かったのだろう。

今見てみると、映画としてどれほど面白いものであるかは、正直言って判断を下し難い。だが、おそらく資料的価値はかなり高い。ロシアバレエ団の代表的な演目が断片的ではあるがいくつも挿入されているのだ。例えば「バラの精(舞踏への勧誘)」「シェラザード」「ペトルーシュカ」「牧神の午後」「遊戯」。主演クラスに一級のバレエダンサーを配しているし、監督のハーバート・ロス自身がダンサー/振付師出身、プロデューサー(奥さん)もバレリーナだったので、バレエ・シーンはしっかりしている。バレエシーンの無いものでも、衣装合せのシーンで「青神」の扮装のニジンスキーが出て来たりする。(身体全体を濃い青に塗って、タイ風の衣装を着けている。) 但し「春の祭典」はちょっと微妙。振付に関する資料が殆ど残っていなくて、キチンとした再現は(少なくと映画制作時点では)無理だったらしい。

アラン・ベイツがディアギレフを演じている。「一房の白髪を配した前髪の、身なりの良いロシア貴族」 それまで、僕はこの俳優を殆ど知らなかった所為もあって、これがディアギレフか、と素直に映画に入れた。もっとも、後でものの本を読んだり、肖像スケッチを見ると(コクトーの描いたモノクルをはめた絵)、もっと人を喰ったところがあって、もっと得体の知れない怪物の様なところがあった男だったらしいけれど。ニジンスキーを演じたのは、ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャという当時現役のプリンシパル・ダンサー。おそらく、本物のニジンスキーより大分ハンサムな人。本物は、バレエ学校時代その非西洋的な顔立ちの為に「日本人」とあだ名されていたという、西洋的感覚からすれば「異形の人」だったらしい。という訳で、ビジュアル的には大分アク抜きしてロマンチックな「カップル」になっているのだろう。

確かに、映画としては幾つか問題を感じる。ディアギレフとニジンスキーの間に溝が出来ていく過程はありきたりのメロドラマ過ぎる気がするし、「春の祭典」の使い方にしても、バレエのシーンが今少し食い足りないと感じるのは、あの曲へのこちらの思い入れが強過ぎる事情を差し引くとしても、その後のシーンでディアギレフに捨てられたと思い込んだニジンスキーが自暴自棄になり、南米に向かう船室の中で荒れ狂う、その音楽が「ハルサイ」というのは、少々陳腐に過ぎる気がした。あるいは、砂浜のデッキ・チェアに身を横たえたディアギレフがニジンスキーと遣り取りするシーンは、「ベニスに死す」のダークボガートと、どうしてもダブルし。(確かにディアギレフは、ヴェネチアで最期を迎えたのだけれど。)

それでも尚、僕にはこの映画は楽しめるものだった。プロットに多少納得いかないところがあっても、バレエやその他のディテールについては、本物を作りたいという意気込みは伝わって来る。 最後のクレジットを見ると、ハンガリー、シシリー、モナコとロケをしたらしいが、劇場やホテルの風景も含めて良く当時の雰囲気を伝えていると思う。この映画は、ビデオテープでしか出ていない。こういう映画こそ劣化しにくいDVD版が欲しいのだが。

この映画の後、イギリスの舞踊評論家リチャード・バックルの労作「ディアギレフ」の日本語訳(鈴木晶訳)の上下2巻が刊行。それぞれ1983年、84年のリリースだった。自分の蔵書の奥付を見ると、どちらも第1版とあり、飛びつく様に買ったのを覚えている。特に、上巻を読んだ後は下巻のリリースが待ち遠しかった。それぞれがハードカバーで400ページ近く有り、2段のかなり細かい字組みの大部な本で、訳者の鈴木晶は「原版より図版を豊富にした」と自慢していた。

題名の示すとおり、この本はディアギレフの伝記であるから、彼がロシアバレエ団を創設する以前も描かれているけれど、これは基本的にロシアバレエ団の完全記録と言っていいだろう。この本は、いわゆる物語ではない。膨大な資料(細々としたメモや領収書類まで含む)と多数の関係者からの証言も基にした記録の集積だ。著者の主観を交えた記述は「全く」と言っていいほど無い。(勿論、何に/誰に語らせるかという選択は著者の意思が決定的に働くのだろうけれど)

主だった記述には、そのソース(物/人)が注意深く付記されている。更に下巻の巻末には、上下巻を通じて登場した人物、あるいは単純に触れられた人名についてまで、どのページに出て来たかを細大漏らさず記した索引もある。つまり、誰が/どこで/いつ、ロシアバレエ団に関わったかが判るのだ。20世紀の、少なくとも20世紀初期のヨーロッパにおける音楽、美術(舞踊は勿論)を革新した担い手たちの多くが関わっていたロシアバレエ団なのだから、これはすごいクロニクルだ。

ディアギレフの最期を描く場面になって、著者は初めて叙情的に綴る。数々のバレエのキャラクターたちにディアギレフの昇天を見守らせるのだ。最後はこう締めくくられる。「音楽が始まる。遠くで角笛が鳴る。そしてディアギレフの長い午後が始まる。」  

この本は、ディアギレフの死を以ってキッパリと終わる。エピローグめいたものは無い。「ディアギレフの長い午後」というのは何かなと考える。それが彼のロシアバレエ団から生まれたもの(人)、あるいはそれに関わったもの(人)のことを指しているとしたら、それは確かに長く今に至るまで続いている。いろいろなところで。

この貴重な本が、日本では廃刊になってしまった。出版元(リブロポート)が解散してしまった所為らしいが、これはかなりの痛恨事だと思う。

映画「ニジンスキー」のオリジナルのリリースは1980年。「ディアギレフ」(本)のオリジナルは、1979年に出版されている。映画は、ニジンスキーの妻の著作とニジンスキー自身の手記を元にしているが、この本を参考にしたらまた違ったものになっていたろう。そのうちロシア人が、いい加減貯めこんでいるらしいオイルマネーをふんだんに使って、ロシアバレエ団のドラマを作らないものかと思う。ロシア人キャスト/ロシア語バリバリのドラマを。

それにしても、ロシアバレエ団の事を考えるとワクワクして来る。これらの映画や本に夢中になってからもう20年以上経ってしまったけれど、映画を見て興奮が蘇って来た。

【参考サイト】

1.映画「ニジンスキー」の解説: 「ディアギレフ」の訳者 鈴木晶氏による解説。今は法政大学の先生をしているらしい。鈴木先生のサイトはこちら⇒ Sho's Bar

.「春の祭典」の解説: サンフランシスコ交響楽団の音楽監督マイケル・ティルソン-トーマスがホストになって楽曲解説をするテレビ番組 Keeping Score に連動したウェブ・サイト。中身は、TV番組の宣伝というレベルではなく、別個の「ウェブ教材」になっている。ビデオ・クリップはTV番組からの抜粋で絵も小さいが、いろいろ面白い。他に、ベートーヴェンの「英雄」交響曲や、コープランドを扱った回もある。この方のサイトから知った。

2007年4月30日月曜日

ただ今、録音中!

引越しまで、もうひと月を切った。

日本に戻ったら、来年の夏まで自分のマンションには戻れないので、会社の寮に入れて貰う事になっている。本当に「独身寮」なので、ほとんどモノを置けるスペースがない。(いや本当に) そこで一番困るのがCDや本。結局、ほとんどはレンタルルームに預けるしかない。そこで、CDだけでも全部iPod(iTunes)に入れてしまおうと一念発起して、ただ今録音中(インポート中)。でも、これが思いの外面倒臭い。

全部で700枚位かな。知り合いの顔を思い浮かべるときっと少ない方だと思うが、私には700枚でも充分多い。特に面倒臭いのが、クラシック関係のインポート。曲のタイトル等、データベースから引っ張ってくるけど、ご存知の通りこれがかなりいい加減。間違いも多い。だからいちいちチェックしたり、訂正したり。作曲家も姓を先に入れないと、頭出し難いし。それに、ジャンル訳も Classic だけじゃどうにもならないから、新たに入れ直したい。という訳で、結局「Clsc-composer-category(Sym, Con, Cham, etc...)」、あるいはオペラについては「Clsc-Opera-composer」という具合にしてみた。さて、世の中の皆さんはどうしているのかな?

それに、700枚程度でも「こんなの持ってたんだ」と度々引っ掛かって、聴いてしまう。まぁ、CDプレーヤーも別にあるんだから、聴きながらインポート作業を進めれば良いんだけれど、これがしばしば聞き入ってしまうんですよね。

という訳で、何となく「パンドラの箱」を開けてしまった感じがする。果たして、この調子で終るのかな?

ところで...

ご近所のヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)さんから、このブログに面が割れそうな名前を使ったので抗議を受けました。どうも、まだブログなれしておりませんもので、申し訳ありません。今後、あなたは「ご近所のヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)」、あるいは私の帰国後は「クパチーノのヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)」とお呼びします。

それに彼から、まじっくばすーん氏と私のブログ上のやり取りについて「親友かつライバルな関係が、こんなところでもいまだに続いているのがほほえましいというか、なんというか...」というコメントを頂きました。う~ん、それは「主題と変奏」乃至は「主旋律とオブリガート」と呼んで欲しいなぁ。まぁ「掛け合い漫才」と呼ぶ向きもあるが。

2007年4月28日土曜日

ロストロポーヴィッチのこと

「ロストロポーヴィッチが死んだ」と、まじっくばすーん氏のブログが教えてくれた。

こんな時に不謹慎なトリビアだけれど、NYタイムスは著名人の訃報に際して、その人の経歴を詳細に紹介する記事を書く。今回もウェブで3ページを割いてロストロポーヴィッチの訃報を伝えている。

それに依ると、1月末にパリで入院し、その後モスクワに移って入退院を繰返し、発表されなかった死因については「腸ガンと考えられる」としている。3月下旬にクレムリンで催された80歳の誕生パーティーには出席したというから、急に悪化したのか?

とにかく「ロシア人らしい」精力と情熱の人だったという。1987年にニューヨークで60歳の誕生日を記念するコンサートを5夜に渡って行った時には、3 つのオーケストラ(ニューヨーク・フィル、ボストン交響楽団、ナショナル交響楽団)と共演して、15曲のチェロ協奏曲を演奏し、幾つかの交響曲とブリテン の「戦争レクイエム」を指揮して、更にバッハの無伴奏チェロ組曲(全6曲)まで演奏した、というエピソードを紹介している。

また茶目っ気あふれる人であったとも。チェロのリサイタルで伴奏者の楽譜に、ヌード写真を貼り付けて驚かせたり、アイザック・スターンの70歳のバース デー・コンサートには、サン=サーンスの「白鳥」を演奏するのに、白タイツにチュチュ、更には白鳥の被り物に真っ赤な口紅まで付けて出て来たという。

小澤さんとの仲の良さも、良く知られた話だ。実際、私の覚えているロストロポーヴィッチの最後の映像は、彼と小澤征爾が若い演奏家を引き連れて、田舎に「出前コンサート」をしに行くという話だった。「この活動は、スラヴァに言われて始めたんだ」と小澤さんが説明してい た。

今更、私がロストロポーヴィッチの音楽について語っても仕様がない。CDラックを探したら、彼のCDが4、5枚出て来た。今はドボルザークのコンチェルト を聞いている。バッハの「無伴奏チェロ組曲」のレーザ・ディスクも日本から持って来ている。この週末は、この辺りを見聞きすることでロストロポーヴィッチを偲ぶことにしよう。

【追記】
日本では、ロストロポーヴィッチの生誕80歳を記念した映画が封切られたんですね。今度の事が、この映画の宣伝になるというのはちょっと複雑な気分だけど。映画のウェブサイトの「最新情報」ではまだ死亡は伝えてないけれど、3月下旬の誕生パーティーの模様を伝えたビデオクリップが載っていますね。もう相当に痩せているけれど、立ってスピーチをしている模様。これが本当に最後の映像なんでしょうね。

2007年4月27日金曜日

久し振りにファゴットの曲を聴く

まじっくばすーん氏の昔語りにつられて、久し振りにファゴットの曲を聴いた。トゥーネマン/イ・ムジチのヴィヴァルディのコンチェルト集2枚(12曲)。そして同じくトゥーネマンをソロに迎えたドヴィエンヌのカルテットとデュエット。 恥ずかしながら、ファゴットがソロの曲を聴くのは本当に久し振り。ファゴット絡みのCD、さすがに普通の人よりはたくさん持っていると思いますけどね。

ところで、トゥーネマン。記憶の中では、とても派手な音色だった印象があったけれど、思いの外柔らかな音色だった。でも、全くよどみのないテクニックは記憶通り。その所為で、派手な印象を持っていたのかも知れない。 

ヴィヴァルディはファゴットのコンチェルトを一杯書いていたよなぁ、とCDのライナーノーツを読んでいたら、39曲でしたね。(うち2曲は未完) バイオリン・コンチェルトが200曲以上あって、その次に多いらしい。バイオリン・コンチェルトについては、バイオリン奏者であるヴィヴァルディ自身がソロを取る事も多かったのだろうけれど、ファゴットはそうじゃないだろうから、余程優れた(そしてお気に入りの)プレーヤーがいたということなんだろうか。詳しく調べもせずに迂闊な事をいってはいけないけれど、時代を問わず、ファゴットをソロにこんなに曲を書いた作曲家っていないんじゃないだろうか。ヴィヴァルディのコンチェルトの殆どは、ヴェネチアの女子修道院(孤児院?)の合奏団の為に書かれたというけれど、どんな風景のアンサンブルだったのだろう?絵でも残っていないものかしら。それに技量も優れていたんでしょうね。もっとも、バロック・ファゴットの方がキーが少なくて、スケールやアルペジオは今のファゴットよりやり易かった、という説も聞いた事がある。

私の持っているのは12曲だから、1/3にも満たないけれど、やはり短調の曲の方が趣きがあるかな。でも、どれを聞いていても、退屈はしない。 「バンジョーは止まらない」と書いたけれど、「ファゴットは止まらない」という感じでしばらく聴いているのも悪くない。まぁ「集中して」という訳にはいかないんだけれど。

そういえば、ヴィヴァルディについては後悔していることがある。ちょうど2年前の春になるけれど、念願叶ってイタリアに旅行した。勿論ヴェネチアにも立ち寄ったけれども、ヴィヴァルディが合奏団を教えていたという修道院に行きそびれてしまった、というよりヴィヴァルディの事を殆ど忘れていた。挙句に、ちょうどイタリア・ツアーの途中だったベルリン・フィル(ラトル指揮)に居合わせて彼の地のフェニーチェ歌劇場でのコンサートに行けたのだけれど、旅の初日、強烈な時差ボケに襲われて半分寝てしまうという大失態。音楽的には散々だった。だから、ヴェネチアにはもう一度出直したい!

ドヴィエンヌは楽しかった。特に、カルテットの作品73-1というのは、モーツァルトのオーボエ・カルテットの兄弟の様な感じがしますね。確か、haru様もファゴット・アンサンブルでやってましたね。もう30年近い昔なんだ、あれも。 

2007年4月25日水曜日

物欲週間?

管理人をしている「ブログFG会」とは別に、新しい個人ブログを立ち上げた。

やはり「管理人」を意識すると、どうも書き切れないところもある。(といいながら、向うにも本当に勝手な事を書いてきたけれど。) というより、やはりごく個人的に書いていきたい事もある。

さて、今週はフォルカー氏的に言えば、ちょっとした「物欲週間」。あとひと月でアメリカを離れるので、と自らに言い訳しつつ「お土産代りに」とちょこちょこ見物/聞き物を物色している。まぁ私の事ですから、多分にミーハー的ではありますが。以下、今週仕入れたも主なブツ。結果的に「アメリカもの」に終始しているのは意図しなかったけれど、やっぱり自分に言い訳してるかも:

1.バースタイン/マーラー交響曲全集(DVD): LDで持っていたものを、置き換えざるを得ないと覚悟して購入。今は、LD/DVD/CDプレーヤー(パイオニア製)を持っているけれど、次はもうLDプレーヤーを買う気がしませんからね。

2.バースタイン/答えのない質問(ハーバード大学での講義収録ビデオ-DVD): これも実はビデオで持っている。みすず書房から出ている日本語の詳細な講義録さえもっている。(これが横長の変形版で厚さ5cm位あるので結構置き場所に 困る) ところが、未だ殆ど見ていない。結構大部だし、英語の講義ですからね、ちょっと身構えているうちに今日に至っている。ということで、これからまだ大分掛か るだろうし、ビデオテープに代えて「永久保存版」のつもりでDVDを買う。6講義全部で700分以上あるというから、身震いする。日本語の字幕はおろか、 英語の字幕さえないんだから。

3.件(くだん)の、Bela Fleckモノ。YouTubeでも勝手に流されちゃってるライブ映像のオリジナルDVD (Live at The Quick)。ちょっと飛ばしながら見たけど、やっぱり抜群におもしろい。後は、Flecktonesの最新アルバム(The Hidden Land) とBelaのキャリアを遡って、ブルーグラス時代のアルバムを幾つか。

以上、帰国を前にして、結構バタバタしているのに味わうには結構時間と集中力を要するものばかり。追々「感想文」書きます。