2007年12月22日土曜日

豆のスープ

昨日ホテルの近くのカフェでスープを食べた。

近頃流行りのベーカリーが併設された「ベーカリーカフェ」という趣向。食べたのは Chick Pea Soup というスープ。Chick Pea は日本語では「ヒヨコマメ」というのだそうだ。色と形がヒヨコの頭に似ているところからそういう名前になったという。インド料理にも盛んに使われるそうで 「ダール」というこの豆を使ったカレーは、僕も何度か食べた事がある。ヴェジタリアンには貴重なタンパク源だという。

ダールは丸のままの豆を使うが、昨日のスープは挽き割りというか、粗くみじん切りにして使っている。他でも時々 Split Pea Soup というのを見かけるけれど、あちらは大体緑色の豆を使っているが(グリーンピースかな?)、こちらはちょっと黄土色がかった色合い。

この店は、調べてみたらチェーン店らしいけど「当店の商品はみ な一からここで作っています」と自慢するだけあって、カウンターには丁寧にレシピも出ていた。かいつまんで訳すとこんな感じ。

  • みじん切りのベーコンとハーブを炒めて、香ばしさと香りを引き出す。
  • そこにヒヨコマメを加えて、更にしばらく炒めたらチキンスープを加える。
  • 豆に良く火が通り、滑らかになってきたら出来上がり。

なんだかひどく単純なレシピでしょ。見た目はもさっとした感じで決しておいしそうには見えないが、ハーブのせいか(どういうハーブか判らないが)結構深い 味がするし、ベーコンの塩気と香ばしさが効いてなかなかいける。ベーカリーということで付け合わせの柔らかいパンもおいしいし、スモールサイズのスープで ランチには丁度いい。それにWiFiもタダで使えるのも有難い。(スターバックスなんか、今でも iTunes 以外は有料の筈だ。)

アメリカには余りおいしいものが無いというけれど、時々こんな風に素朴においしいものもある。こういうのを「小確幸」というんですね、きっと。

Specialty's Bakery and Cafe
3399 Bowers Avenue
Santa Clara, CA 95054
www.specialtys.com

2007年12月20日木曜日

北カリフォルニアに雨が降る

今週もカリフォルニアに来た。

夕べは朝方まで雨が降っていた。意外に思われるかも知れないが、冬のカリフォルニアは結構雨が降る。4月から10月くらいは殆ど雨が降らず晴天続きだが、冬の間は断続的にかなりの量の雨が降る。始終枯れ草に覆われている様に見える山や丘も、1月から3月頃は目を吹き出した草で青々とする。

カリフォルニアでも、冬にそぼ降る雨はやはり物悲しく感じる。良く映画の舞台になるサンフラシスコ辺りも、余り雨と結ぶ付いたイメージは無いかも知れ ない。何か「冬のカリフォルニアの雨」を映し出した映画が無かったかと考えていたら、ひとつ思い出した。ダイアン・キートンの主演した「Shoot the Moon」という映画で82年の作品。昔しは結構ダイアン・キートンのファンでしたからね。この映画もちゃんと映画館で見た記憶がある。サンフランシスコ近郊を舞台にして、筋はこんな話。内容を反映する様に「カリフォルニアの青い空」のイメージには程 遠い、雨の良く降る冬のカリフォルニアのシーンが多かった印象がある。共演はアルバート・フィニー。実はこちらに来る飛行機の機内で見た「Bourne Ultimatum」の中で、アルバート・フィニーが主人公のジェイソン・ボーンを洗脳した老医師役で出ていた。まだ生きていたんですね。何し ろ「オリエント急行殺人事件」(74年作品)でポアロを演じて、イングリッド・バーグマンやローレン・バコールと張り合っていた人だからね。(バコールは まだ生きてるか。)

そういえば、昔し流行った「カリフォルニアの青い空」という歌。まともに歌詞なんて覚えてなかったけど、ちょっと調べたら本当は雨も出て来るし、かなり切ない歌だったんだ。

シリコンヴァレーは今週も寒い。夕べはタイ料理のレストランで夕食だったけれど、隣りのテーブルではタイ人らしき女性の客がオーバーコートを着込んだまま食事をしていた。さすがにそこまでの人は珍しいが、確かに薄ら寒い夜だった。そんな夜更けに降った雨だ。冷たかったろうね。

2007年12月14日金曜日

マックは快適!

うちの会社(というよりうちの事業グループだけかも)は、セキュリティ重視ということで「シンクライアント(Thin Client)」のシステムになっている。クライアントPCにはHDDは付いていないし、その他の外部メモリも使えない。オフィスのクライアントPC自体 がノートブックなので、出張の時にも基本的にはそれを使う事になる。ハードディスクが無いのでその分大分軽いのは良いのだが、外部のインターネット接続で は遅くて使い辛いことが良くある。何しろ文字変換からリモートのPCで行っているので、キーボードがブラインドタッチ出来ない僕でさえ、思考が止まってし まう。止まってしまうだけなら良いが、イライラする事この上ない。

それにウェブ・ブラウジングもいろいろスクリーニングされているので、ネットサーフィンもままならない。グルメ、スポーツ関係は必ず「業務上関係ある か?」とイエローカード(警告スクリーン)が入るし、エンタメ系は始めからレッドカード。(それ以上は怖くて試してません。「記録が残される」と脅かされ るし。)ブログも見るだけなら結構見られるけど、書き込みは出来ない。会社でならまだしも、出張先でプライベートの時間に少しは息抜きしようと思っても、 基本的に使い物にならない。

ということで、少し前から自前のマックブックを会社のノートブックと一緒に持ち歩いている。酔狂と言えば酔狂だけど、まぁ移動の少ない出張なら何とか。と いう訳で、今も空港の待ち時間にメールを始めたらイライラして来て、マックを開けてこれを書いている。メモリは2GB載せてるし、ブートアップも早くて快 適!

でもマックブックは重いね。姿形はスリム&モノリシックで良いのだが、重さが2.27Kgもある。だから 最近のハードディスク無しの薄型軽量モデルが来年早々出るというウワサには、相当そそられますね。最近までハードディスク会社にお世話になってい た身としては、ちょっと後ろめたいけれど、根が結構ガジェット好きなもので...

2007年12月13日木曜日

フィレンツェ名物

まだアメリカ出張中。今週、当地は随分と寒い。シリコンヴァレー周辺も朝方は3〜4℃。昼は15℃くらいになるけど、東京より寒いですね。サンフランシスコ湾の北側にあるナパ/ソノマ方面は0℃近くまで下がって、霜が下りているらしい。

それとは全く関係ないけど、先週イタリアンを食べに行く機会があった。品川駅の港南口のビル群の中にある「アロマクラシコ」という店。行った事は無いけど 聞いた事はある有名な店の分家筋らしい。オフィス・コンプレックスの中にあるせいか、そんなに雰囲気がある訳では無いけれど、逆に過剰な装飾も無く機能的 な感じで6人くらいで使える個室も2つあるので、ビジネスには使いやすいだろう。サービスも悪くない。

メニューは前菜/パスタ/主菜を、魚介系/肉系/ベジタリアンのグループから選ぶ仕組み。僕は、前菜にトリュフはあしらったオムレツ、牡蠣のパスタ(タリ アッテレだったかな?)、主菜は店の名物だというビステッカをいただいた。オムレツは僕にはチーズが効きすぎていた様で、もう少しあっさりした前菜で良 かったかも知れない。牡蠣のパスタは普通においしかった。で、注目すべきはやはり「ビステッカ」。ビステッカというのはイタリア語でビーフステーキの事ら しいけど、フィレンツェの名物「ビステッカ・アラ・フィオレンティーナ」が有名。アメリカで言えばTボーンステーキあたりになるらしいけど、味付けは主に 塩胡椒だけの野趣溢れるスタイルが基本らしい。フィレンツェでは地元のギアナ牛を使った物が有名だが、これは僕もフィレンツェでうまいのに巡り会えて未だ に覚えている。

この店のは見かけはとても洗練されていて、僕の知っているビステッカの面影は全く無いのだけれど、味付けは塩だけらしくシンプルにいける。ブロックのまま 炭火で焼いて、中は赤いまま切り分けてサーブされて来て見た目はレアに見えるけれど、キチンと火が通っていて、回りの香ばしさ加減とのコントラストが楽し い。緑色のソース(レシピを聞きそびれたが、コリアンダーと松の実をすり潰した様な感じ)と粗挽きの胡椒が添えてあったけど、何も付けずにそのままがおい しい。さすがに看板メニューだけの事はあると納得。欲を言えば、小さめのフィレステーキくらいのボリュームだったので、もう少し食べたいくらいだった。

フィレンツェでもうひとつ思い出すのは、ピチというパスタ。太さは讃岐うどんという感じで、やはりそこそこコシがあって、アマトリチャーナやラグーといっ たソースであえたのがおいしかった。2年前のイタリア旅行はアメリカから行ったが、戻っても探し回ったがそれらしいパスタに巡り会えなかった。強いて言え ば、ブカトーニが近い感じがしたけれど、ピチはもっとモチモチ感があった気がする。日本はさすがにグルメ大国で、ネットで調べたら東京にもピチを出す店が 何軒かあるらしいので近いうちに試してみたい。

2007年12月12日水曜日

ウィレム・デフォー (Willem Dafoe)

今週は、またシリコンヴァレーに来ている。

夕べホテルで観るとはなしに、テレビを観ていたら American Dreamz という映画をやっていた。ヒュー・グラントとデニス・クエイドはすぐ判ったが、クエイド演じる大統領の補佐官役のおじさんがどこかで見た様に思うのだけれ ど、結局最後まで判らなかった。エンディングのタイトル・クレジットでやっと判った。何と、ウィレム・デフォー (Willem Dafoe)。左の写真が、夕べの映画の役(右側)。右の写真を見れば判る人も多い筈。「プラトーン」で演じた孤高の軍曹役が出世作で、近年では「スパイ ダーマン」で「ジキルとハイド」ばりに変身してしまう科学者(空を飛び回る怪人)なんかで有名ですね。

日本では封切られなかった映画らしいけど、筋の紹介は目的じゃないのでこの辺りを参考にして下さい。でも、このデフォーは判らないね。頭が禿げ上がっているの はこの写真でも判るけど、体型も腹腰回りに肉を付けてすっかり別人。大体僕らの知っているデフォーは、エキセントリックな役が専らのコテコテの性格俳優で すからね。昔の俳優で言えば、クラウス・キンスキー(ナスターシャ・キンスキーのお父さん)にちょっと雰囲気が似てるかも。この映画はコメディだけど、いずれにしてもコメディに出るデフォーはあんまり想像出来なかった。

アメリカ映画もコメディは余り日本でやらない(いわゆる「ラブコ メ」は別だろうけど)。だからアメリカで相当有名なコメディ俳優が日本では余り知られなかったり、デフォーみたいにシリアスな役者がコメディ映画に出ても 知られていない。やっぱり、泣かせるより笑わせる方が難しいということか? あるいは笑いのタイプの問題もある。スラップスティックやパロ ディだと判りやすいけど、オリジナルの台詞で笑わせる物は内容が判っても、笑いのツボを感じ取るのは難しい。

なんて言ってデフォーを調べてたら、来月日本で封切りの「Mr ビーン」の新作に出るらしい。Mr ビーンなんてかなりドタバタものだろうけど、どんな役をやるのかしら? 見てみたい気もするが、多分行かないだろうな。

2007年12月5日水曜日

志ん朝で「富久」を聴く

今夜は底冷えがする。思わず、志ん朝の「富久」を聴く。

三題噺風に言えば、師走、火事、富くじ。アメリカに居る時にも良く聴いた。部屋を真っ暗にして聴いていると、通りに掛け出る幇間の久蔵が思わず 首をすくめる冬の冴えた寒空が目の前に広がる。志ん朝が死んで6年が経った。この口演は、1976年の録音だという。志ん朝38歳のときだ。今の僕より 10歳若い。良く通る明るい声音。明瞭な口跡と心地よいテンポ、リズム。ハツラツとしているけれど「未熟」という意味での若さはない。

自慢にはならないが、世に出ている志ん朝のCDは全て揃えていると思う。だが本当に恥ずかしいことだけれど、生では一度も聴いていない。これは本当に残念 なことだ。手元のCDに残る演目は全部で丁度60あった。全てライブ録音だが、どれも完成度は高い。円生の労作「円生百席」は完成度を意識して、全てスタジオ録 音にしたというが、志ん朝は60席を全てライブでものして、どれも優れた完成度を示している。そこに、ライブらしい客の反応も記録されていて楽しい。ちょ うど円生の録音をカラヤンに例えれば、志ん朝の残した録音にはカルロス・クライバー(彼もライブ録音しか残さなかった*注)の録音の様な爽快な趣きがある様に 思う。だから
、この珠を大事にするしかありませんね。

志の輔も昇太も面白い。でも落語を聴いてみたい、という人がいたら、まず志ん朝を勧めたいな。

*注:まじっくばすーん氏から「クライバーにはスタジオ録音もいろいろある」とのご指摘受けました。申し訳ありません。「ライブ録音が多い」という辺りでお願いします

2007年12月4日火曜日

ふぐを食す

この冬初めてのふぐを食す。

まともにふぐを食べた事がないという若い者が「麻布十番の『小やなぎ』がおいしいらしいですね」と来たので、そういうところはデートで連れて行って貰いなさい、と諭し、今回は今驚異的に増殖している「Gふぐ」のチェーン店を訪れる。

結果から言えば、コストパフォーマンスは決して悪くはない、と思う。女性2人を含む4人で、コース1人前づつは少し多いかなと思ったので、てっちりx3人前+雑炊4人前にてっさし、ぶつ切り、唐揚げ、焼きふぐを適宜ちりばめ、ワイン1本他飲み物少々で、1人頭6千円を少し上回る程度だから、まあ上出来じゃないかな。

てっちりは、IHヒーターに紙なべという趣向。これは食器洗いも大分省けるな、とコスト削減も頭に浮かぶけれど、火力(熱力か?)も十分で大したものです。

店によって趣きも少し違うという話も聴くが、今日行ったところは席が一番奥だったせいもあって落ち着けた。ワインは、ホリデイ・シーズンでもあるし、オーストラリア物のスパークリング・ワインというのを注文したら、「こちらの方がおいしいと思いますので」とイタリア物が出て来た。Supumoniですね。結構おいしく飲めました。

ということでM君、「小やなぎ」は別途報告して下さい。

2007年12月1日土曜日

Mel Torme

The Christmas Song の作詞者メル・トーメ(Mel Torme)は、ジャズ歌手だった。

村上春樹が The Portrait in Jazz にメル・トーメの事を書いていたのは覚えていたんだけれど、本が手元に無かったので(何しろまだ単身赴任寮の仮住居に居るので、本も家財もトランクルームの中)何と書いてあったかまでは良く覚えていなかった。「良いクラブ歌手」と言ってたかな?

それで昨日、会社の帰りに本屋に立寄ってその本を見つけて、読んでみた。正確には The Portrait in Jazz 2 の方にあった。

都会の片隅にある小粋でこぢんまりしたナイトクラブ、毛皮のコート、シャンパンとカクテル、それがメル・トーメの生きた世界だった。シナトラ的な、ラスヴェガスの大ホールのサウンドは彼の求めるところではなかった。そういうところが粋人の粋人たるゆえんなんだろうけど、ちょっと惜しいという気がしないではない。
こんな引用を正確に覚えられる訳も無く、この本を買ってしまったのでした。僕の持っていたのは文庫本。昨日見つけたのはハードカバー版。大きい紙幅なので絵の迫力がまるで違うんですよね。

昔し、十代の終わりの頃から和田誠の文・絵で映画を紹介した「お楽しみはこれからだ」のシリーズを夢中で読んでいた。あの本に導かれていろいろな映画を観ましたね。あのシリーズの挿絵は色のついていないイラストだったけど、単純な線を使って良くあんなにいろいろなニュアンスが出せるものだと感心した。個性的と言えば、あれだけ個性的な画風も無い。

The Portrait --- の絵は色付き。これも紛う事無き、和田誠の画風ですけどね。

という訳で、今日は朝からメル・トーメのクリスマスアルバム(彼のはそれしか持ってないので)を聴きながら「絵本」を眺めてます。

2007年11月28日水曜日

The Christmas Song

好きなクリスマスソングの話。

洋の東西を問わず、ポピュラー歌手は少し有名になるとこぞってクリスマスソングを作るので、新しいところを追ってゆくときりがない。だから、スタンダードなところで The Christmas Song


これ、歌の名前です。 a じゃなくて、the ですからね、定冠詞。「これぞ!」と言いたいんだろうか? Chestnuts roasting on an open fire... というフレーズで始まり、クリスマスの風物詩を並べ立てて、最後に「言い古されたせりふだけど、あなたにメリー・クリスマス」と、余りに定番的な作り。この辺りは、もういくつ寝ると---の「お正月」のコンセプトに似ていなくも無い。一般にはナット・キング・コールが歌って大ヒットした歌として知られている。豪華なストリングスをバックに堂々と、本当に The Song という感じで歌い上げてますね。

でも僕が一番好きなのは、ビング・クロスビーの録音。それも、前振りの付いたバージョン。多分ラジオのクリスマスショーからの抜粋なんだと思 う。ビング・クロスビーの歌うクリスマス・ソングなんて、何もひねりが無くて申し訳無いくらいなんだけど。でも、あのソフトに響く Crooning Voice は、やっぱりホッとする。

White Christmas は勿論クロスビーがオリジナルだけど、Have Yourself a Merry Little Christmas (これはジュディ・ガーランドが映画「若草の頃」の中で歌った)も、The Christmas Song も-要は、その3曲が僕にとっての「3大クリスマスソング」なんだけど-結局、みんなクロスビーのバージョンが一番好きなのだ。フリッツ・クライス ラーの自作自演の小品がそうである様に、ビング・クロスビーのクリスマスソングは心に沁みて来る。

さて、クロスビー自身がしゃべる曲の前振りはこんな具合
近頃、ここハリウッドでは若者たちの作った曲が流行ってますが、これから歌うのはメル・トーメとボブ・ウェルズが作った今夜にふさわしい曲で す。いわば音楽のクリスマス・カードか、スケッチといったところ。それでは The Christmas Song というこの曲をお送りしましょう。
一見何も変わったところは無いけれど、今や大スタンダードなこの曲を新しい曲として紹介するのが歴史を感じさせてくれて面白い。

クロスビーは、録音技術の実用化に大きな影響を与えたそうだ。そもそも「クルーニング唱法」として知られる、あまり声を張らないソフトな響きの バリトンは、マイクロフォンの発展で可能になったものだし、ラジオショーのホストとして絶頂を極めていた頃には、自分のプロダクションで番組制作する立場 で、テープ録音をいち早く取り入れて番組編集を可能にしたという。

まぁそんなトリビアな話はさておいても、クロスビーのソフトで親しみある声は「音楽のクリスマスカード、あるいはスケッチ」というこの曲に良く合っていると思う。そんなに仰々しくなくてね。

ところで僕の「3大クリスマスソング」として挙げた曲は、White Christmas が1941年、と Have Yourself --- と The Christmas Song が1944年に初めて世に出たという。第2次世界大戦の最中ですね。The Christmas Song や White Christmas は、いかにもクリスマスらしい情景を思い描く歌だし、Have Yourself a Merry Little Christmas は、どちらかと言えば「元気を出してね」というニュアンスがあって、ちょっと切ない感じさえする。やっぱり時代が、平和な穏やかなクリスマスを求めていた のかな?

日本時間の今日、ニューヨーク名物のロックフェラー・センターのクリスマスツリーが点灯したんだってね。意外に遅い感じもするけど、ほらやっぱり「Thanksgivingの後にChristmas」でしょ。 Merry Christmas to all...

The Christmas Song
(Torme-Wells)

Chestnuts roasting on an open fire
Jack Frost nipping at your nose
Yuletide carols being sung by a choir
And folks dressed up like eskimos

Everybody knows a turkey and some mistletoe
Help to make the season bright
Tiny tots with their eyes all aglow
Will find it hard to sleep tonight

They know that Santa's on his way
He's loaded lots of toys
And goodies on his sleigh
And every mother's child is gonna spy
To see if reindeer really know how to fly

And so, I'm offering this simple phrase
To kids from one to ninety-two
Although its been said
Many times, many ways
Merry Christmas! Merry Christmas! Merry Christmas to.. You!

2007年11月25日日曜日

「Thanksgivingが来てから、Christmas」だろ?

前回の続き。

で、ヘトヘトになってサンノゼ空港にたどり着いてレンタカーを借りた。レンタカーをスタートさせる時のルーティンは、ミラーの角度をチェックしてラジオ局をセットする。シリコンヴァレーに来た時のお決まりは、クラシック専門局のKDFC(102.1MHz)と、ポピュラー専門局のKOIT(96.5MHz)。特に、KOITは肩が凝らなくていい。で、さっそくダイヤルを合わせるとクリスマスソングが流れている。これがちょっと意外というか心外だった...

KOITは、通常のステーション・コールなら「ケー・オー・アイ・ティー」と呼ばれる訳だが、皆ニックネームで「コイト」と呼ぶ。サンフランシスコ港のそばに立つ観光名所「コイトタワー」(綴りはCoit Tower)に掛けているらしい。キャッチフレーズは "Lite Rock, Less Talk"。LiteとLessで韻を踏んでいるのだろうけど、別にロック系の曲が多い訳じゃなく、いわゆるヘビーなロックとかジャズ以外のポピュラー音楽全般が掛かっている感じ。それも最新のヒット曲は掛からずに、精々新しいのは2~3年前から古くは70's~60'sまで平気で掛かっている。つまり「どこかで聞いた曲」がのべつまくなし流れている訳。

このKOITが、Holiday Seasonになるといわゆるクリスマスソングばかりを流す様になる。ステーション・コールにも "The Bay Area's official Christmas Station" なんていう大そうなフレーズが加わる。オフィシャルかどうかは知らないが、確かに1日中クリスマスソングしか流さない。僕はシリコンヴァレー、あるいはサンフランシスコ・ベイエリアと呼ばれる地域には合計8年くらい済んだけど、僕にとってクリスマスシーズンの到来を告げてくれるのは、何よりこのラジオ局の衣替えだった。

この「衣替え」は、従来キッチリとThanksgiving Day(10月第4木曜日)の翌日の金曜日だった。これは小売業界のHoliday Seasonのセール開始日と同じ。この期日は、他人を出し抜くのに余念が無いアメリカでも未だに相当キッチリ守られていると思う。(その代わり「金曜日朝5時開店」なんていう凄まじい事になるのだが。)

ところが、今年のKOITのChristmas Stationへの衣替えは、先週の土曜日僕がダラスからサンノゼに着いたら終わっていたのだ。Thanksgiving Dayの前の週なのに。事情は全く知らない。同じ趣向の局が増えたので早めたりしたのかな? でもね、これはちょっとフライングだと思う。個人的には、ひどく興醒め。やっぱりこういうお決まりの「風物詩」の順番って、大事にして貰いたいいんですよね、本当に。

KOIT、贔屓にしていただけにとても残念な出来事でした。ごく個人的なことだけど...

2007年11月21日水曜日

Holiday Season!

先週は後半からアメリカへ出張。

僕のアメリカ出張と言えば、専らシリコンヴァレーばかりだけど、今回は東海岸のワシントンDCまで足を伸ばす。サンノゼからダラス経由で、乗継ぎの待ち時間を入れれば片道8時間近くの移動は、久し振りだとなかなか堪えた。

それに先週末からは、1年中で一番混み合う旅行シーズンが始まっている。というのも、今週の木曜日は11月の第4木曜日ということでThanksgiving Dayのお休み。殆どの州で金曜日も休みとなるので、アメリカでは数少ない4連休。それを含めて、この週を全部休暇に充てる人も多い。同時にクリスマス〜新年まで続くHoliday Seasonのスタートなのだけれど、家族親戚が寄り集まる機会はクリスマスなどよりも、Thanksgiving Day休暇の週の方が多いらしい。つまり日本の盆暮れの「民族大移動」に相当する混雑は、アメリカではThanksgivingの週前後となるという訳。

おそらく必ず4連休となるし(クリスマスや元旦は必ず週末に掛けるという訳にはいかない)、多様な宗教背景を持つアメリカ人にとってはクリスマスほど露骨にキリスト教と結び付けなくて済むからか?(といっても、Thanksgivingも最初にアメリカに入植した清教徒たちが神の恵みに感謝したところから発していると言うけれど...)

ということで、サンノゼ―ワシントンを往復したフライトは完璧に満席。とくにダラスからサンノゼへの便には参った。3列並びの真ん中の席、というだけでも憂鬱だったのに、脇を固める人たちにはホトホト参った。窓際の席にとてもふくよかな娘(決して他人様の事を言える私では無いけれど)。反対の通路側にはその母親。

娘は席に陣取るなり、私の席との間の肘掛けを当然の様に跳ね上げる。窮屈さを少しでも和らげたいということか?お陰で、彼女の太い腕が私の体を押さえつける。母親の方は、やおら財布から1ドル札を取り出して数え始めて「何杯飲めるかな?」と呟いている。ドリンクサービスの時に酒を飲むらしい。

よくよく二人が話すのを聞いていると、娘の後ろの席に座ったのは、父親らしい。そこで思わず母親に「みんな一緒に座りますか?」と聞いたら「彼女と父親は窓際が好きだし、私は通路側がいいのよ」と取り合わない。

で、案の定酒盛りは始まる。母親だけかと思いきや、娘も一緒に飲み始める。僕の目の前でカップや酒ビンが行き交う。(まあ、ミニチェアボトルだけど)こっちは寝た振りをしていると、そのうち母親が持ち込んだポテトチップスの袋を私の席のトレイにおいて、二人でつまみ始めた。私の存在は、完全に無視されている。

酒盛りが終われば、当然の様にいい気持ちで寝入る。そうなると隣りの娘は完全にリラックスモードで、その分こちらの領分が侵され、否応無く母親側の方へ押し出されがちなのだが、何と母親は押し返して来るではないか!?

という訳で、サンノゼまで地獄の様な3時間半のフライトでした。

2007年5月15日火曜日

私の歌姫

もう来週は引越し。そして週末には日本に向けて発ちます。 ということで、何かと身辺あわただしい。

家具の粗方はご近所のヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)に纏めて引き取って貰えることになったので、ひと安心なのですが、その他の細々とした雑事が結構面倒です。それに付けても、こちらに来る引越しの時にも思ったことなのですが、こんな時には傍らにボヤく相手、突っ込んでくれる相手が欲しいものですね。(こんなところで、プチ告白しても始まりませんが。) 「ひとり、始末良く暮らす」 これが僕の取敢えずの目標なのですが、これがなかなか難しい。

さて、という訳でブログにアップする様なネタもゆとりも無く過ごして来たこの1週間ですが、昨日夕食の後に聴くともなく、大貫妙子の新譜を聴いて、それがとても心に響いてしまいました。

大貫妙子、「私の歌姫」。高校の終わりの頃から、聞き始めてもう30年になります。最初の頃は、若干無機的にさえ響くと思っていた彼女の歌声ですが、年を経て歌い方も変化しました。今、とても丁寧に歌う彼女の歌は、どんなに気分の落ち込んだ時でも安らぎを与えてくれるとっておきの音楽です。(僕にそんな風に作用してくれるのは、もうひとつウラッハのクラリネットです。)決して甘過ぎる事はなく、凛としているけれど、温もりがある。

彼女は、いわゆるシンガー&ソングライターですから、リリースされている多くは自作曲ですが(勿論、好きな歌はいくつでも挙げられます)、夕べ聴いたのは女性シンガーのカバー曲を集めたオムニバス・アルバム。彼女がカバーしたのは、オフコースの「やさしさにさよなら」と、MISIAの「名前のない空を見上げて」の2曲でした。

このアルバムに寄せての彼女のコメント「同じアプローチでは、わざわざカバーをする必要はないのです。ですから自分の歌として今まで積み重ねてきた経験をもとに、新たな気持ちで向き合ってみました」というのは、ありふれた言い方に取られかねないけれど、この2曲を聴いていると、それが何を意味しているのか(どんなに深い事なのか)良く判る気がします。

ご本人は、歌や見掛けの繊細そうなイメージとは裏腹に、アフリカや南極を旅したり、しゃべる声もどちらかといえば低い、逞しい人の様です。繊細なモノを作り続けるこの人は(それも30年以上もバリバリの現役で!)、先ずクリエータであるということを教えてくれる、それも彼女のファンで有り続ける理由のひとつです。

2007年5月8日火曜日

Last vacation in Bay Area

日本はもうGWが終わりましたね。僕も、帰国が秒読み段階に入りましたが、木曜日から週末に掛けて休みを取って「ミニGW」を決行。ごく近場ですが、宿を取り「ラスト・バ ケーション」を送りました。

場所は、サンフランシスコ(SF)の向かい側、小さな半島の突端にあるティブロン Tiburon という町です。

SFの街を抜け、ゴールデンゲート・ブリッジを渡り、更に10分くらい走ったところでフリーウェイを降りて、入り江をぐるりと回って、小さ な半島の突端にある小さな町。ヨットハーバーがあって、SFとの間にフェリーも運航しています。

正面にSFの町が臨めて、ひたすら平和そうなところです。シリコンバレー近辺に通算8年くらい住んでいながら、初めて訪れたところですが、観光客もごく少なくとてもリラックス出来ます。SFの街に出るには30分くらい、ナパ/ソノマといったワインカントリーにも1時間半くらいで行けます。

もっと早くに知っていれば、と思いましたけど、まぁそれでも、知ることが出 来たので良しとしましょう。

今回、実際にここからSan Francisco Symphonyの演奏会や、ナパのイタリアン・レストランへ昼食を取りに行きました。

ところでそのレストラン、ナパヴァレーの中心、セントヘレナという町にある Tra Vigne(トラヴィーネ)という店ですが、とてもおいしい。パスタも正しいアル・デンテ(これがアメリカのイタリアンでは、なかなかお目に掛かれない) 今回はブカティーニという太目のパスタをムール貝のトマトソースに和えたもの。(ちょっとミントが隠し味) メインは、ビーフを煮込んだものをポテトとポレンタ(コーンをオートミール状にした付合わせ)のベッドにのせた一皿。ビーフシチューのような濃いソースでなく、丁度日本の煮込みに近い食感。

ところで、今回は昼食ということもあり、サラダ/パスタ/メイン全てを一人前を二つに分けて貰いました。ボリュームの多いアメリカの皿も、これだと丁度いい分量。アメリカでは、まともなレストランだったら、頼めば大抵分けて盛り付けてくれると思いますよ。(Could you split it (or them)? というのが頼み方)これだと、お腹にもお財布にも優しい。取り皿を頼めば済むことかも知れませんが、やはり最初から分けて貰うと食べ易いし、気分もいい。昼食に限らずお薦めのやり方です。

2007年5月4日金曜日

映画「ニジンスキー」、そして「ディアギレフ」という本

最近「春の祭典」についてのサイトに出会って、ふと思い出して映画「ニジンスキー」のビデオを手に入れた。僕がこの映画を最初に見たのは1982年の秋。場所は新宿歌舞伎町の「シネマスクエアとうきゅう」 思えば、今流行りのミニシアターのはしりですね。 (今となっては、ちょっと「ロケーションに難有り」だけど)

82年は、大学を出た年。卒業の直前には、大学オケで1ヶ月の演奏旅行に出た訳だけれど、その時のメインがストラヴィンスキーの「春の祭典」。そういう縁で、この映画も気になったという訳だろう。

それ以来、25年振りに見た。あらかたのシーンを覚えていた。好きな映画であれば大抵繰り返して見ているので不思議はないが、この映画に関しては、一度しか見ていないのに、余程印象が強かったのだろう。

今見てみると、映画としてどれほど面白いものであるかは、正直言って判断を下し難い。だが、おそらく資料的価値はかなり高い。ロシアバレエ団の代表的な演目が断片的ではあるがいくつも挿入されているのだ。例えば「バラの精(舞踏への勧誘)」「シェラザード」「ペトルーシュカ」「牧神の午後」「遊戯」。主演クラスに一級のバレエダンサーを配しているし、監督のハーバート・ロス自身がダンサー/振付師出身、プロデューサー(奥さん)もバレリーナだったので、バレエ・シーンはしっかりしている。バレエシーンの無いものでも、衣装合せのシーンで「青神」の扮装のニジンスキーが出て来たりする。(身体全体を濃い青に塗って、タイ風の衣装を着けている。) 但し「春の祭典」はちょっと微妙。振付に関する資料が殆ど残っていなくて、キチンとした再現は(少なくと映画制作時点では)無理だったらしい。

アラン・ベイツがディアギレフを演じている。「一房の白髪を配した前髪の、身なりの良いロシア貴族」 それまで、僕はこの俳優を殆ど知らなかった所為もあって、これがディアギレフか、と素直に映画に入れた。もっとも、後でものの本を読んだり、肖像スケッチを見ると(コクトーの描いたモノクルをはめた絵)、もっと人を喰ったところがあって、もっと得体の知れない怪物の様なところがあった男だったらしいけれど。ニジンスキーを演じたのは、ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャという当時現役のプリンシパル・ダンサー。おそらく、本物のニジンスキーより大分ハンサムな人。本物は、バレエ学校時代その非西洋的な顔立ちの為に「日本人」とあだ名されていたという、西洋的感覚からすれば「異形の人」だったらしい。という訳で、ビジュアル的には大分アク抜きしてロマンチックな「カップル」になっているのだろう。

確かに、映画としては幾つか問題を感じる。ディアギレフとニジンスキーの間に溝が出来ていく過程はありきたりのメロドラマ過ぎる気がするし、「春の祭典」の使い方にしても、バレエのシーンが今少し食い足りないと感じるのは、あの曲へのこちらの思い入れが強過ぎる事情を差し引くとしても、その後のシーンでディアギレフに捨てられたと思い込んだニジンスキーが自暴自棄になり、南米に向かう船室の中で荒れ狂う、その音楽が「ハルサイ」というのは、少々陳腐に過ぎる気がした。あるいは、砂浜のデッキ・チェアに身を横たえたディアギレフがニジンスキーと遣り取りするシーンは、「ベニスに死す」のダークボガートと、どうしてもダブルし。(確かにディアギレフは、ヴェネチアで最期を迎えたのだけれど。)

それでも尚、僕にはこの映画は楽しめるものだった。プロットに多少納得いかないところがあっても、バレエやその他のディテールについては、本物を作りたいという意気込みは伝わって来る。 最後のクレジットを見ると、ハンガリー、シシリー、モナコとロケをしたらしいが、劇場やホテルの風景も含めて良く当時の雰囲気を伝えていると思う。この映画は、ビデオテープでしか出ていない。こういう映画こそ劣化しにくいDVD版が欲しいのだが。

この映画の後、イギリスの舞踊評論家リチャード・バックルの労作「ディアギレフ」の日本語訳(鈴木晶訳)の上下2巻が刊行。それぞれ1983年、84年のリリースだった。自分の蔵書の奥付を見ると、どちらも第1版とあり、飛びつく様に買ったのを覚えている。特に、上巻を読んだ後は下巻のリリースが待ち遠しかった。それぞれがハードカバーで400ページ近く有り、2段のかなり細かい字組みの大部な本で、訳者の鈴木晶は「原版より図版を豊富にした」と自慢していた。

題名の示すとおり、この本はディアギレフの伝記であるから、彼がロシアバレエ団を創設する以前も描かれているけれど、これは基本的にロシアバレエ団の完全記録と言っていいだろう。この本は、いわゆる物語ではない。膨大な資料(細々としたメモや領収書類まで含む)と多数の関係者からの証言も基にした記録の集積だ。著者の主観を交えた記述は「全く」と言っていいほど無い。(勿論、何に/誰に語らせるかという選択は著者の意思が決定的に働くのだろうけれど)

主だった記述には、そのソース(物/人)が注意深く付記されている。更に下巻の巻末には、上下巻を通じて登場した人物、あるいは単純に触れられた人名についてまで、どのページに出て来たかを細大漏らさず記した索引もある。つまり、誰が/どこで/いつ、ロシアバレエ団に関わったかが判るのだ。20世紀の、少なくとも20世紀初期のヨーロッパにおける音楽、美術(舞踊は勿論)を革新した担い手たちの多くが関わっていたロシアバレエ団なのだから、これはすごいクロニクルだ。

ディアギレフの最期を描く場面になって、著者は初めて叙情的に綴る。数々のバレエのキャラクターたちにディアギレフの昇天を見守らせるのだ。最後はこう締めくくられる。「音楽が始まる。遠くで角笛が鳴る。そしてディアギレフの長い午後が始まる。」  

この本は、ディアギレフの死を以ってキッパリと終わる。エピローグめいたものは無い。「ディアギレフの長い午後」というのは何かなと考える。それが彼のロシアバレエ団から生まれたもの(人)、あるいはそれに関わったもの(人)のことを指しているとしたら、それは確かに長く今に至るまで続いている。いろいろなところで。

この貴重な本が、日本では廃刊になってしまった。出版元(リブロポート)が解散してしまった所為らしいが、これはかなりの痛恨事だと思う。

映画「ニジンスキー」のオリジナルのリリースは1980年。「ディアギレフ」(本)のオリジナルは、1979年に出版されている。映画は、ニジンスキーの妻の著作とニジンスキー自身の手記を元にしているが、この本を参考にしたらまた違ったものになっていたろう。そのうちロシア人が、いい加減貯めこんでいるらしいオイルマネーをふんだんに使って、ロシアバレエ団のドラマを作らないものかと思う。ロシア人キャスト/ロシア語バリバリのドラマを。

それにしても、ロシアバレエ団の事を考えるとワクワクして来る。これらの映画や本に夢中になってからもう20年以上経ってしまったけれど、映画を見て興奮が蘇って来た。

【参考サイト】

1.映画「ニジンスキー」の解説: 「ディアギレフ」の訳者 鈴木晶氏による解説。今は法政大学の先生をしているらしい。鈴木先生のサイトはこちら⇒ Sho's Bar

.「春の祭典」の解説: サンフランシスコ交響楽団の音楽監督マイケル・ティルソン-トーマスがホストになって楽曲解説をするテレビ番組 Keeping Score に連動したウェブ・サイト。中身は、TV番組の宣伝というレベルではなく、別個の「ウェブ教材」になっている。ビデオ・クリップはTV番組からの抜粋で絵も小さいが、いろいろ面白い。他に、ベートーヴェンの「英雄」交響曲や、コープランドを扱った回もある。この方のサイトから知った。

2007年4月30日月曜日

ただ今、録音中!

引越しまで、もうひと月を切った。

日本に戻ったら、来年の夏まで自分のマンションには戻れないので、会社の寮に入れて貰う事になっている。本当に「独身寮」なので、ほとんどモノを置けるスペースがない。(いや本当に) そこで一番困るのがCDや本。結局、ほとんどはレンタルルームに預けるしかない。そこで、CDだけでも全部iPod(iTunes)に入れてしまおうと一念発起して、ただ今録音中(インポート中)。でも、これが思いの外面倒臭い。

全部で700枚位かな。知り合いの顔を思い浮かべるときっと少ない方だと思うが、私には700枚でも充分多い。特に面倒臭いのが、クラシック関係のインポート。曲のタイトル等、データベースから引っ張ってくるけど、ご存知の通りこれがかなりいい加減。間違いも多い。だからいちいちチェックしたり、訂正したり。作曲家も姓を先に入れないと、頭出し難いし。それに、ジャンル訳も Classic だけじゃどうにもならないから、新たに入れ直したい。という訳で、結局「Clsc-composer-category(Sym, Con, Cham, etc...)」、あるいはオペラについては「Clsc-Opera-composer」という具合にしてみた。さて、世の中の皆さんはどうしているのかな?

それに、700枚程度でも「こんなの持ってたんだ」と度々引っ掛かって、聴いてしまう。まぁ、CDプレーヤーも別にあるんだから、聴きながらインポート作業を進めれば良いんだけれど、これがしばしば聞き入ってしまうんですよね。

という訳で、何となく「パンドラの箱」を開けてしまった感じがする。果たして、この調子で終るのかな?

ところで...

ご近所のヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)さんから、このブログに面が割れそうな名前を使ったので抗議を受けました。どうも、まだブログなれしておりませんもので、申し訳ありません。今後、あなたは「ご近所のヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)」、あるいは私の帰国後は「クパチーノのヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)」とお呼びします。

それに彼から、まじっくばすーん氏と私のブログ上のやり取りについて「親友かつライバルな関係が、こんなところでもいまだに続いているのがほほえましいというか、なんというか...」というコメントを頂きました。う~ん、それは「主題と変奏」乃至は「主旋律とオブリガート」と呼んで欲しいなぁ。まぁ「掛け合い漫才」と呼ぶ向きもあるが。

2007年4月28日土曜日

ロストロポーヴィッチのこと

「ロストロポーヴィッチが死んだ」と、まじっくばすーん氏のブログが教えてくれた。

こんな時に不謹慎なトリビアだけれど、NYタイムスは著名人の訃報に際して、その人の経歴を詳細に紹介する記事を書く。今回もウェブで3ページを割いてロストロポーヴィッチの訃報を伝えている。

それに依ると、1月末にパリで入院し、その後モスクワに移って入退院を繰返し、発表されなかった死因については「腸ガンと考えられる」としている。3月下旬にクレムリンで催された80歳の誕生パーティーには出席したというから、急に悪化したのか?

とにかく「ロシア人らしい」精力と情熱の人だったという。1987年にニューヨークで60歳の誕生日を記念するコンサートを5夜に渡って行った時には、3 つのオーケストラ(ニューヨーク・フィル、ボストン交響楽団、ナショナル交響楽団)と共演して、15曲のチェロ協奏曲を演奏し、幾つかの交響曲とブリテン の「戦争レクイエム」を指揮して、更にバッハの無伴奏チェロ組曲(全6曲)まで演奏した、というエピソードを紹介している。

また茶目っ気あふれる人であったとも。チェロのリサイタルで伴奏者の楽譜に、ヌード写真を貼り付けて驚かせたり、アイザック・スターンの70歳のバース デー・コンサートには、サン=サーンスの「白鳥」を演奏するのに、白タイツにチュチュ、更には白鳥の被り物に真っ赤な口紅まで付けて出て来たという。

小澤さんとの仲の良さも、良く知られた話だ。実際、私の覚えているロストロポーヴィッチの最後の映像は、彼と小澤征爾が若い演奏家を引き連れて、田舎に「出前コンサート」をしに行くという話だった。「この活動は、スラヴァに言われて始めたんだ」と小澤さんが説明してい た。

今更、私がロストロポーヴィッチの音楽について語っても仕様がない。CDラックを探したら、彼のCDが4、5枚出て来た。今はドボルザークのコンチェルト を聞いている。バッハの「無伴奏チェロ組曲」のレーザ・ディスクも日本から持って来ている。この週末は、この辺りを見聞きすることでロストロポーヴィッチを偲ぶことにしよう。

【追記】
日本では、ロストロポーヴィッチの生誕80歳を記念した映画が封切られたんですね。今度の事が、この映画の宣伝になるというのはちょっと複雑な気分だけど。映画のウェブサイトの「最新情報」ではまだ死亡は伝えてないけれど、3月下旬の誕生パーティーの模様を伝えたビデオクリップが載っていますね。もう相当に痩せているけれど、立ってスピーチをしている模様。これが本当に最後の映像なんでしょうね。

2007年4月27日金曜日

久し振りにファゴットの曲を聴く

まじっくばすーん氏の昔語りにつられて、久し振りにファゴットの曲を聴いた。トゥーネマン/イ・ムジチのヴィヴァルディのコンチェルト集2枚(12曲)。そして同じくトゥーネマンをソロに迎えたドヴィエンヌのカルテットとデュエット。 恥ずかしながら、ファゴットがソロの曲を聴くのは本当に久し振り。ファゴット絡みのCD、さすがに普通の人よりはたくさん持っていると思いますけどね。

ところで、トゥーネマン。記憶の中では、とても派手な音色だった印象があったけれど、思いの外柔らかな音色だった。でも、全くよどみのないテクニックは記憶通り。その所為で、派手な印象を持っていたのかも知れない。 

ヴィヴァルディはファゴットのコンチェルトを一杯書いていたよなぁ、とCDのライナーノーツを読んでいたら、39曲でしたね。(うち2曲は未完) バイオリン・コンチェルトが200曲以上あって、その次に多いらしい。バイオリン・コンチェルトについては、バイオリン奏者であるヴィヴァルディ自身がソロを取る事も多かったのだろうけれど、ファゴットはそうじゃないだろうから、余程優れた(そしてお気に入りの)プレーヤーがいたということなんだろうか。詳しく調べもせずに迂闊な事をいってはいけないけれど、時代を問わず、ファゴットをソロにこんなに曲を書いた作曲家っていないんじゃないだろうか。ヴィヴァルディのコンチェルトの殆どは、ヴェネチアの女子修道院(孤児院?)の合奏団の為に書かれたというけれど、どんな風景のアンサンブルだったのだろう?絵でも残っていないものかしら。それに技量も優れていたんでしょうね。もっとも、バロック・ファゴットの方がキーが少なくて、スケールやアルペジオは今のファゴットよりやり易かった、という説も聞いた事がある。

私の持っているのは12曲だから、1/3にも満たないけれど、やはり短調の曲の方が趣きがあるかな。でも、どれを聞いていても、退屈はしない。 「バンジョーは止まらない」と書いたけれど、「ファゴットは止まらない」という感じでしばらく聴いているのも悪くない。まぁ「集中して」という訳にはいかないんだけれど。

そういえば、ヴィヴァルディについては後悔していることがある。ちょうど2年前の春になるけれど、念願叶ってイタリアに旅行した。勿論ヴェネチアにも立ち寄ったけれども、ヴィヴァルディが合奏団を教えていたという修道院に行きそびれてしまった、というよりヴィヴァルディの事を殆ど忘れていた。挙句に、ちょうどイタリア・ツアーの途中だったベルリン・フィル(ラトル指揮)に居合わせて彼の地のフェニーチェ歌劇場でのコンサートに行けたのだけれど、旅の初日、強烈な時差ボケに襲われて半分寝てしまうという大失態。音楽的には散々だった。だから、ヴェネチアにはもう一度出直したい!

ドヴィエンヌは楽しかった。特に、カルテットの作品73-1というのは、モーツァルトのオーボエ・カルテットの兄弟の様な感じがしますね。確か、haru様もファゴット・アンサンブルでやってましたね。もう30年近い昔なんだ、あれも。 

2007年4月25日水曜日

物欲週間?

管理人をしている「ブログFG会」とは別に、新しい個人ブログを立ち上げた。

やはり「管理人」を意識すると、どうも書き切れないところもある。(といいながら、向うにも本当に勝手な事を書いてきたけれど。) というより、やはりごく個人的に書いていきたい事もある。

さて、今週はフォルカー氏的に言えば、ちょっとした「物欲週間」。あとひと月でアメリカを離れるので、と自らに言い訳しつつ「お土産代りに」とちょこちょこ見物/聞き物を物色している。まぁ私の事ですから、多分にミーハー的ではありますが。以下、今週仕入れたも主なブツ。結果的に「アメリカもの」に終始しているのは意図しなかったけれど、やっぱり自分に言い訳してるかも:

1.バースタイン/マーラー交響曲全集(DVD): LDで持っていたものを、置き換えざるを得ないと覚悟して購入。今は、LD/DVD/CDプレーヤー(パイオニア製)を持っているけれど、次はもうLDプレーヤーを買う気がしませんからね。

2.バースタイン/答えのない質問(ハーバード大学での講義収録ビデオ-DVD): これも実はビデオで持っている。みすず書房から出ている日本語の詳細な講義録さえもっている。(これが横長の変形版で厚さ5cm位あるので結構置き場所に 困る) ところが、未だ殆ど見ていない。結構大部だし、英語の講義ですからね、ちょっと身構えているうちに今日に至っている。ということで、これからまだ大分掛か るだろうし、ビデオテープに代えて「永久保存版」のつもりでDVDを買う。6講義全部で700分以上あるというから、身震いする。日本語の字幕はおろか、 英語の字幕さえないんだから。

3.件(くだん)の、Bela Fleckモノ。YouTubeでも勝手に流されちゃってるライブ映像のオリジナルDVD (Live at The Quick)。ちょっと飛ばしながら見たけど、やっぱり抜群におもしろい。後は、Flecktonesの最新アルバム(The Hidden Land) とBelaのキャリアを遡って、ブルーグラス時代のアルバムを幾つか。

以上、帰国を前にして、結構バタバタしているのに味わうには結構時間と集中力を要するものばかり。追々「感想文」書きます。

2007年4月21日土曜日

カルロス・クライバー「カナリア諸島にて」

まじっくばすーん氏が、カルロス・クライバー(指)/ウィーン・フィル演奏のベートーヴェンの交響曲5、7番の事を書いている。 このコンビでは、やはり ブラームスの4番も忘れ難い。「ウィーン・フィルらしくない」とか、「クサい」とさえ腐す人もいたけれど、やはり心かき乱される感じは今聴いてもたまらな い。そして、ファゴット吹きにとって忘れられない1枚は、バイエルン国立歌劇場管とのベートーヴェンの4番。「スリリングな演奏」の例証として、「第4楽 章 でバスーンがコケそうになる」といつも持ち出される。世にカルロス・クライバーの伝説が語り継がれる限り、このファゴットの話もついて回るんだろうね。本 当にこのファゴット吹きに同情を禁じ得ませんね。

そう言えば、久々にクライバーの名前を聞いて、以前作詞家の松本隆が自分のホームページに「カナリア諸島にカルロス・クライバーを観に行った」というよう な記事を書いていたので、どんな風だったかを調べようとしたけれど、もう載っていない。勘違いかな、と思ったら、ラジオ番組で葉加瀬太郎を相手にしゃべっ ていたのが採録されていた。1999年の事だったらしい。更に調べたらプ ログラムも判った。カナリア諸島で開かれた音楽祭に、バイエルンのラジオシンフォ ニーを振って出たらしい。曲目は、ベートーヴェンの4番7番と、「こうもり」の序曲。十八番ですね。好事家のCDも出ているらしいけど(海賊版だね)、 ネットを見る限りでは手に入れる術は見当たらない。2004年に死んだクライバーは、1999年1~2月にかけてバイエルン放送響との共演が、公けで演奏 したものの最後だそうだから、このカナリア諸島での演奏は最晩年のものということになる。出来れば聴きたいけれど。

2007年4月19日木曜日

ファゴット in YouTube (4/18/07)

も しかしたら、僕なんか遅れてるのかも知れない。(きっとそうだ。) いや、YouTubeのことです。バンジョー弾きの絡みで、ちょっと覗いてみた訳だけ ど、ファゴット(バスーン)関係も凄いことになってます。 個人的には、YouTubeっていうのは、著作権の問題なんて考えるとあんまり肯定的にはとらえていなかったんだけど、 やはり爆発的に広がっているんですね。因みにファゴット関係で調べてみたら、これだけヒットしました。

ファゴット:2
fagott:26
bassoon:318
basson:49

それから、fagotで検索しても一杯出て来るけど、これは英語だと違った意味になってくる から、ダメですよ。(でも、Fgという短縮形でも英語だとこっちの意味に取られるらしいからまずいな。「Fg会」-う~ん、チョッとヤバいかな。)

さて、こんな数のビデオ・クリップをつぶさに見ている暇は無いけど、いくつか拾ってみました。

1.Bassonables (バスーン・カルテット)
まずは、ご同胞から。アマチュアみたいだけど、結構有名なんですかね。"You'd be so nice to come home to" と "water melon man" の2作品が載ってます。なかなか楽しい。 こちらにグループの紹介があります。http://www.bassoonable.com

2.Bassoon Lights (バスーン・クインテット)
Virginia Commonwealth University という大学でのクリスマス・コンサートの模様らしい。「くるみ割り人形」の編曲。ちょっと調べたら、音楽学部もあるいらしいから、そこの学生ですかね。見 所は、1分30秒後から。題名の意味が判ります。いやぁ、本当に楽しい。それにしても「バージニア」と言えば、昨日乱射事件があった学校と大して離れてい ないでしょう。そんなに大きい州じゃないですから。

3.Air Bassoon Championships (パロディ番組予告?)
楽 器を降りた私としては、この道しかないかな。どうもオーストラリアのTV番組がネタ元らしい。こんな番組、絶対に「本編」は無いと思うけど。それにして も、「エア・オーケストラ」まで登場するから凄い。それにしても、こんなの作って、どの位の視聴者に受けるというのか? やっぱりこの手の趣味は、イギリ ス系入ってます。因みに、ここでダウンロードも出来る様です。大分下の方の The Chaser’s War on ABC promos というセクションの3番目のクリップです。お好きな人はどうぞ。

4.007、Super Mario 他
や はり、どこかの音大でしょう。多分、アメリカだと思うけれど、中国系/中国人らしき人が多い。(Star War というクリップは「上海音楽院」というクレジットが出ている。)僕はゲームをやらないので「スーパーマリオ」の音楽なんて知らないけど、受ける向きには受 けるんでしょうね。

皆さんも探してみれば、掘り出し物に出会えるかも知れない。でも、こういうのはみんなで酒を飲んで突っ込みながら見るのがおもしろいかも。

そ れにしても、プレーヤー人口から考えると日本人のクリップが圧倒的に少ない。ブログ投稿数は今や世界一だというのに。やっぱり「顔出し」はダメで、「匿 名」じゃないとダメなのかな?ちょっとハイテク文化論として考えると、おもしろい。個人的には、我がFg会の皆さんはすべからく世界に紹介したいですけど ね。

2007年4月18日水曜日

Bela Fleck もう1枚だけ (4/17/07)

まじっくばすーん様、Bela Fleckのディスクですが、これもお薦めかも知れない。Tales from the Acoustic Planet   最近Vol.2 も出たらしいけど、それは持っていないので判らない。どちらかというとブルーグラスへのトリビュートの色彩が濃いとは聞いている。 こちらは、ピアノや弦 楽器、オーボエなどとセッションしていて「ニューエージ・ミュージック」に近い部分さえあるけれど、それゆえに落ち着いて聴いていられる。この人が徒に超 絶技巧に走るプレーヤーでないことが判る。Bela Fleckのことを忘れて、単純におもしろい1枚だと思うよ。

2007年4月16日月曜日

ファゴットがソロを取っている場面 (4/15/07)

マイケル・ヘッジスは、ウィンダム・ヒルの主要メンバーだったんですね。だったら、僕もきっと耳にしているはず。ソロのアルバムも聴いてみましょう。

さて、Flecktonesの続き。YouTubeにファゴットがソロを取っている曲も載っていましたね。但し、ソロ部分はシンセサイザーで音が変換されてしまって、スターウォーズのエイリアン・バンド(オビワンとルークがハンソロを見つけた酒場で演奏してたバンド)みたいな音ですね。頑張ってるけど。

バンジョーは止まらない (4/15/07)

アメリカに住んでいて出会った音楽というのは、実はそんなに無いんです。バイオリンの音楽を良く聞く様になったと か、志ん朝を真剣に聴き込んだとか(落語 ですけどね、この人の落語は音楽的要素が強い-この話しは後日)、そういうのって「アメリカ」とは本来あんまり関係無いし(まぁ個人的にはいろいろいわく はあるけれど)。そんな中で、唯一掛け値無しにアメリカに住んで居なければ出会う事はなかったろうというのが、この人、ベラ・フレック (Bela Fleck) というバンジョー弾き。彼が率いるバンドが、フレクトーンズ(Flecktones) 。名前の通り、バンジョーのベラ・フレックがリードを取るバンド。差し詰めカントリーかブルーグラスのバンドみたいだけど(ネーミングのセンスからして ね)、やってる音楽をカテゴライズすれば、一応「フュージョン」ということになるんでしょうね。元々ブルーグラスのバンジョー弾きとして出発しているけれ ど、今のスタイルは全く洗練されていて、一聴した限りではバンジョーとは判らないかも知れない。でも、スリーフィンガー独特のアルペジオはバンジョー以外 の何者でもないんですけれど。

最初に聴いた(見た)のは、テレビ。チャンネルを 変えているうちに、音楽番組があったので目を留めた訳で す。マルサリス兄弟の兄貴の方(ブランフォード・ マルサリス、サックス吹き)と共演していたんだけど、サックスとの掛け合いでバンジョーを弾いているのをみて、ちょっとビックリ。エレキギターを弾いてい るのかと思ったら、音もちょっと違うし、胴の形も丸だし、「あっ、バンジョーだ!」とやっと気付いた。音も普通のバンジョーとは少し違うようだ。普通のバ ンジョーの乾いたアルペジオの音よりは大分ソフトな響き。テクニックとしては、相当な超絶技巧を駆使してるんだろうけど、サラッと弾いてのける。そもそも エレキギターみたいに泣いたり叫んだりせず、ひたすらアルペジオですからね、バンジョーは。聞いてるうちに、だんだん「オイオイ、何だコレは!」という感 じになって来る。

フレクトーンズの編成は、バンジョーの他がベース、サックス、ドラ ム。このドラムというのが、シンセサイザー・ドラムで形状はちょっと変わったエ レキベースかエレキギターで、胴やネックに相当するところに大小いろいろのパッドが取り付けてあって、それを指で小刻みに叩いて、それがシンセサイザーで ドラムの音に変換されてしまうという代物。ほら、よく音楽聴きながらコツコツと指でテーブルを叩いたりする人がいるでしょう?あれでドラムが叩けてしまう 訳。「ドラミタール」と名付けられているけれど、明らかにドラムとシタール(ジョージハリソンもはまったインドの弦楽器ですね)から文字った訳ですね。 ベースもその筋では相当に有名な名手の様です。基本編成はこの4人だけど、フュージョン・バンド、又はジャムバンドらしく、他にもいろいろな楽器と共演す る様で、何とバスーンとも共演してます。

こ う書いて来ると、何だかキワモノめいて来たけど、音楽はとてもまともという感じです。それでいて、他にはこんなの無いなぁとも言える。一見淡々としているしそんなに派手さを感じないけれど、実は凄い演奏をしているんだと思いますね。

ク ラシックの編曲物も出しています。中には、ショパン、スカルラッ ティ、パガニーニも入っていて曲目を見るだけで「超絶技巧バリバリ」という感じだけど、やはりとてもまともですね。共演もジョシュア・ベル(バイオリン) とか、ジョン・ウィリアムス(ギター)ですから、ちゃんとしたもんです。ところで、このアルバムのタイトルは
Perpetual Mortion と いうんですが、日本語に約すと「永久運動」という意味。ライナーノーツにも特別何も書いていませんが、間違いなくベラ・フレックの弾くバンジョーのこと を表しているんだと思います。彼のアルペジオは本当に永遠に続くんじゃないかと思えてきますから。そう、「バンジョーは止まらない」という感じ。

今回この人の紹介を書こうと思って、改めていろいろ調べているうちに、ベラ・フレック&フレクトーンズを紹介した記事があったので、
ちょっと訳してみました 。おもしろ半分で始めたけれど、途中で止めるのが悔しくて、結局3時間も掛かってしまった。(ふ~っ)アメリカの「業界」の事も少し判って為になりました。でも、年間120回ものコンサートをこなすというのは凄い。

お勧めは、どれを聴いてもいいけれど、やはり
デビュー・アルバムが いいかも。ベラ・フレックのリード振りがストレートに出ているアルバムだし、バ ンジョーの向うを張って活躍するハーモニカがカッコイイ。(このハーモニカ吹きは、サックス吹きが加わる前の創立メンバーのひとり。過酷 な旅回りに疑問を感じて抜けた様です。仕様がないですね。)

YouTubeでも、Flecktones で検索すればいろいろ出て来ますが、僕は取敢えず
コレが好きですね。Big Country という曲で、CDにも入っていますが、こっちのライブ録画の方がおもしろい。よりカントリーっぽい雰囲気が濃いし、管の連中が3本になっ ていて(サックス2本と何とファゴットが1本)よりグルーヴ感が増していて気持ちいい。

音楽は本物だし、グラミー賞でも常連だし、日本で殆ど無名であるのが信じられないくらい。海外ツアーでも、中国/韓国まで来てるんですけどね。でも、知っててムダじゃないと思いますよ、このバンド。いずれにしても、個人的にはとても気に入っています。

2007年4月13日金曜日

Yakitori-ya in San Jose (4/12/07)

い きなりですが、焼き鳥屋の話。というより、本当は当地(シリコンバレー)にやって来たワセオケ出身者の話。1年後輩のヴィオラ・トップだった〇芝君が、仕 事でこちらに赴任になりました。なぜ知っているかと言うと、同じ会社だから。といってもいろいろ業種のある会社で、職種も違うから(あちらは買う方で、こ ちらは専ら売る方)、卒業以来会社で会ったのは、彼が就職活動で会いに来たのを加えても、2回くらいしかないかな。現に、今回もこちらでは別の会社組織に 属してます。(就職活動で尋ねて来た時には「良く考えた方がいいよ」と言ったので、彼が同じ会社に入ったのは僕の責任でも功績でもありません。念の為)

そ の〇芝君が住む事になった家が、僕のアパートと同じ通り沿いで1キロと離れていない場所。(この距離は、アメリカでは本当にご近所。)出来たばかりのとて もきれいなコンドミニアム。昨日、ホテルを出て入居したというので、さっそくミニ歓迎会を、と言う訳で、最近評判という近くの焼き鳥屋に行きました。

この辺の住宅地には、ところどころ、スーパーや幾つかの小さい店が集まった一角(「ショッピング・スクウェア」とでもいったかな?)があるけれど、この焼き鳥屋「炭屋」もそういうところにあります。結論から言うと、確かに「まともな焼き鳥屋(Authentic* Yakitori Restaurant)」と言っていいでしょうね。メニューも まあまあでしょ?そりゃ、日本のおいしい焼き鳥とは比べられないでしょうけれど、一応備長炭で焼いている様だし、あの悪名高い「テリヤキソース」も使って ないようだしね。「テリヤキソース」というのは、アメリカ人の多くが日本料理の代表的ソースと疑っていないようだけれど、どうみても、そのとろみ甘さはみ たらし団子の蜜に近い代物。焼いた肉や魚に掛ければ「たちまちジャパニーズ!」という手軽さだけど、到底、ちゃんとした日本料理の調味料とは言い難い。そ れをこちらでも醤油メーカとして有名になっているキッコーマンがプロモートしているので始末が悪い。

この場所、前も日本食系のレストラン (というより居酒屋)があったのだけれど、その店は窓も無く、とてもきれいと言えない造りで、アメリカ人とおぼしき客が居なくなるとタバコさえ吸わせてい たという若干怪しげな店でした(カリフォルニアでは、レストランはおろかバーも一切禁煙)。 今度の焼き鳥屋さんは前面ガラス張りで小ぎれいになってまし た。ちょっと、奥まったところにあるけれど、シリコンバレーで焼き鳥が食べたいという人には(ここの読者には居ないか?)、取敢えずお勧め。夜11時半ま で営業というのも嬉しい。

そうそう、〇芝君の話。勿論まじめな彼の事だから、楽器もバリバリの現役。今は専らバイオリンを弾いているそうで、近々こちらのアマオケのオーディションがあるとのこと。偉いですね。

ところで、ワセオケ出身者二人で「焼き鳥」となれば、「そういえば『鳥安』に行きたいね」という話しに。皆さん、日本に帰ったら連れて行って下さい。(ところで、鳥安の2階で仕切っていたおじさんは「織田さん」ておっしゃるんですねぇ。初めて知った。)

* (注): この場合、authentic の反対語は Americanized です。authentic は辞書で引くと「本物の、正真正銘の」と出て来るけど、この場合それほど大げさなものではありません。アメリカでレストランの紹介に良く見掛ける言葉か も。いろいろな料理を余りにアメリカナイズしてしまったので、ちょっと反動かも。因みに authentic American という料理は余り見た事がないなぁ。 

2007年4月12日木曜日

ご報告 (4/11/07)

84 年卒団の3名の方のアドレスが新たに判りましたので、早速「投稿者登録招待状」をお送りしました。速やかに、登録して書き込みお願いします。未だ、まじっ くばすーん氏との「掛合い漫才」状態が続いておりますので... 同じ年次では、トップの野☆さんのアドレスが不明です。ご存知の方は教えて下さいね。

それから唐突なご報告で恐縮ですが、先 週会社から異動内示がありまして、6月1日付けで日本に戻る事になりました。勤務場所は東京大森になります。厳密には2年余の駐在期間でしたが、2003 年夏に一旦赴任し、途中1年弱日本に戻ってまた出て来たという変則的なものでしたので、実質的には4年弱という感覚ですね。

実際の帰国は、5月下旬になりますが、それでも今度のFg会には間に合いそうもありません。残念ですが...

帰国までには、またいろいろこの場でお話し出来るでしょう。今日は、取急ぎご報告まで。

2007年4月8日日曜日

これはチョッと驚いた?! (4/7/07)

全世界を対象としたブログ投稿量の調査 によると、日本語による投稿量は英語に次いで2番目、しかも僅差らしい。母語あるいは公用語で使用されている言語人口 からすれば、日本語は世界で10番め内外。それを考えると、如何に突出しているか判る。この調査を行った調査会社も、携帯電話における日本の特殊性にも言 及しているし、流行に乗り易い国民性もあるかも知れないし、日本のブロードバンド接続料金が多分世界一安いのも本当らしいけれど、それにしてもこの調査結 果にはちょっと驚いた。たしかに、日本には古くから「日記」という文学が確固として存在して、「身辺雑記」が得意だし、短歌、俳句、川柳もそれと非常に近 しい系譜なんだろうけれど。短冊/矢立てをPC/ケータイに代えて...そう考えると、納得行く気もする。曰く「日本のブログにはメッセージ性が少ない、 中身が無い」「流行が去れば、下火になる」というのも決してウソではないだろうけれど、でもこの先どうなるのか興味深い。 やっぱり圧倒的な量は、質に影響して行くだろうし、いろいろなバリエーションを生んでいくでしょうからね。

2007年4月4日水曜日

CD「イギリス民謡組曲」他 (4/3/07)

既 に、まじっくばすーん氏やharu様が投稿者に名を連ねるところで、クラシック系のCD紹介をするのは辛いところですが、まぁ何でも書いていいブログと いうところを身を以って示そうということで。(本当は、志ん朝の落語のCD辺りを語りたいところですが、それは追々) で、本日紹介するのは、往年のイギリスの名指揮者エイドリアン・ボールト卿がロンドン響/ロンドンフィル/ニューフィルハーモニア管を振ったヴォーン=ウィリアムス の管弦楽作品集。15年位前にアメリカで見つけて、「おっ、これは」と驚いて思わず買ってしまったんですね。何故って、あの「イギリス民謡組曲」の管弦楽 版が入っ てるじゃありませんか。今は良く知りませんが、少なくとも僕らが中学/高校の頃、この曲はホルストの「第1組曲」「第2組曲」と並んで吹奏楽オリジナルの 名曲として人気があったと思います。で、このCDを見つけた時には「えっ、『イギリス民謡組曲』って、管弦楽版がオリジナルなんだ、珍品、珍品」と早とち りしたんですね。随分後になって、改めてライナーノーツを見たら、ちゃんと「この組曲は1923年に軍楽隊(即ちブラスバンド)の為に書かれた。この録音 はゴードン・ジェイコブ による管弦楽版(と言う事は、管弦楽版が編曲された方ということ)」と書いてありました。(英語で細々と書いてあってキチンと読んでませんでした。でも思い込みって怖い。)

で、結論から言うと、一般的には「おもしろい1枚」ではないかも知れません。イギリス物なら、エルガーやブリテンの方がおもしろいかも。でもね、「イギリス民謡組曲」の管弦楽版の録音て、他にあるのかな?
ところでこの文章を書くに当って、ボールト卿の事を調べたら 、キャリアの最初の頃にバーミンガム市響の音楽監督をやってたり(つまりラトルの大先輩)、師匠筋はニキシュ、弟子筋がロジャー・ノリントンだったりする んですね。為になりました。(ノリントンは、昨年SFでシューベルトのシンフォニーを振るのを聞きましたけど、いわゆる「ピリオド奏法」を初めて聴いた事 もあって、響きが新鮮でおもしろかった。)

EMI CLASSICS CDM 7 64022 2
ヴォーン=ウィリアムズ管弦楽作品集:
【曲目】セレナーデ・トゥ・ミュージック、揚げ雲雀、グリーンスリーヴスによる幻想曲、イギリス民謡組曲、交響的印象《沢沼地方にて》、ノーフォーク狂詩曲第1番
【演奏】エイドリアン・ボールト指揮/ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

2007年3月31日土曜日

オペラパレス?! (ぶっちゃー)

今朝日本語のニュースを見ていたら(TV JAPAN という24時間日本語放送を流す有料チャネル、因みにこのニュースはNHKの9時からのニュース番組の同時放送)、今度初台の新国立劇場のニックネームが「オペラパレス」に決まったんですって? なんかしっくり来ないなぁ。

まぁ 「新国劇」(全くかぶってる)とか、「新国」では音も字面も良くないっていうのは判るけど、でも「パレス」かぁ? ニックネームは自然発生的じゃいけない の? 取敢えず「初台のオペラハウス」で問題無いと思うけど。そのうち「人口に膾炙」してしまうのか?(でも使う気がしない) 個人的に、かなり引っ掛か るニュースでした。

2007年3月28日水曜日

映画「かもめ食堂」

まじっくばすーん氏が、この映画を「好きな映画」に挙げてましたね。(映画の紹介はコチラ)実は、私もようやく観たんです、先週末に。 長年「小林聡美 ファン」を公言してはばからない私としては(って誰も知らないか?)、遅きに失していましたが、何分海のこっち側ですので、ようやく当地の貸しビデオ屋に DVDが出回る様になり、借り出したという訳です。 いつも貸出し中で、3~4回待ったかな。こちらでも、人気あるんですね。

淡々と静か に進行して行くけれど、ちょこちょこ可笑しくて、でもいろいろなところがキチンと出来てる感じがしましたね。 小林聡美のしゃべるフィンランド語とか(勿論意味は判らないけど)、膝行とか(「しっこう」と読む、合気道の基本訓練らしい)、調理風景とか、何より食べ 物がシンプルだけどしっかりとおいしそう。おにぎり、卵焼き、とんかつ、あと何故かシナモンロール。映画を観た後には、必ず食べたくなるんじゃないかな。 実は、今私の居るアパートの1階にはベーカリー・カフェがあり、シナモンロールも置いてあるので、思わず食べに行きましたが、味の方はしっかり裏切られま したね。(余りに悔しかったので、その後夕食にも関らず土鍋ご飯を炊いて、シャケを焼いて、おにぎりを作ってやっとひと心地着きましたが。我ながら、うま かった。)

主演の小林聡美は、さっぱりキッパリとした役柄で、その昔「やっぱり猫が好き」 で「ちょこざい(三姉妹の末妹役のニックネーム)」と呼ばれたキャラクターがウソの様です。脇を固める片桐はいりはいつもの怪優振りに似ず、几帳面だけど 憎めないという役柄。もたいまさこはちょっとシュールで、この役柄には少し「やっぱり猫が好き」の長女役の雰囲気が残ってますかね。いずれにしても、観終 わって、ほのぼのホッとする映画でした。

それにしても海外で暮らしていると(それも独身でね)、「ないかな、『かもめ食堂』」とかなり深刻に思わないじゃないですよ。